Title
　グリーン・カード 73
　緑の札 73
　----時代----五十年後----
　懸賞當選映畫小説
　Note
　大阪朝日新聞　夕刊
　昭和五年十月三十一日（金曜日）
　Author
　石原榮三郎　原作
　小島善太郎　畫
　Subtitle
　鬪爭　九
　Description
「ひゝゝ----」
　奇妙な、蹴り出すやうな聲でセ
　　　　　　　　　ヽヽ
キは嗤つた。嗤つたきりで、彼女
　チヱアー２
は椅子に身を沈めた。
　　　　　　　　づゝ１
「お前達に五萬圓宛も差し上げる
　　　　　　　ヽヽ
金があるなら、うんと立派な旅客
機を慥へて、賃金の割引を始めま
せうよ……。」
　無理にも戰慄する胸の血を抑へ
て、セキは興春煙のパイプを咥へ
た。
　----と。
　刹那に彼等の巨手が虚空を毆つ
てテーブルに落ちた。
「覺えてゐろ！　地上の奴隷がど
んなことを反禮するか！　き、君
　　　　　　　　　　　　ヽヽヽ
のその鼻柱が、どんな風にへし曲
げられるか！　こ、この腕だ！
この腕が----奴隷の腕が、地上を
叩きつける時が來たのだ！」
「糞！　惡魔！　妖婦！　地上の
怖ろしい魔術師！　その心臟は己
れ達の血を吸つた惡鬼の唇だ！」
　　　　テーブル２
　彼等は卓子に落ちた----戰き慄
えてゐる巨手を、中空にまで引き
伸ばしてカツ！と跳らせた。
「お前達！」
　セキは再び立ち上つた。彼等が
何かを怒號するその機先を、彼女
　ヽ
はす早く制して終つたのだ。
　　　　ヽヽヽヽ
「理窟やおどかしは止して下さ
い！　そんなことよりも、お前達
のほんとうの要求高が、どれ程の
ものか、その本音を吐く方が、ず
つと、ずつと、お前達には利益で
すよ！」
「な、なにが利益だ！」
　　　　　　　　　　　テーブル２
　一人の男は、又しても卓子を叩
いて、彼女の言葉を噛み潰すやう
に怒鳴つた。
「おい！」
　と、他の一人が、その男を制し
　　　　　　　　　ヽヽ
た。彼の頬骨には、ゆがんだ苦笑
の波が打つた。
「社長！　女社長！」
　　　　　　　　ヽヽ
　ぴり！　と唇がねぢれた。
「私達は、貴女のやうな魔術師で
はないのです、私達の本音は幾度
　　　　　　　　　　【はあり：印字不鮮明】
繰り返しても變るもので■■■ま
せん！　私は失はれた三百の生命
　　　　　　　　　　　　づゝ１
を代表して、貴女に五萬圓宛の償
金を要求します！」
　　　ヽヽヽ
　重つたるい皮肉ではあつたが、
彼には他の男のやうな粗野が見え
なかつた。
「それがお前達の一歩も讓らない
本音だといふなら、あたしの本音
も吐きませう！----あたしは、
否！　あたしの太平洋航空會社は
お前達遺族に對して二萬圓以上の
償金は絶對に支拂ふことは出來ま
せん！」
「………？」
　　　　　　　　　テーブル２
　皮肉な男が、瞬間卓子の上に跳
り上らうとして、背後の男にグツ
とその首筋を捕へられた。
　　　ヽヽヽ
「き、きさまは何んて馬鹿だ！
お、己れ達には、もう要求はなか
つたはずぢやないか！　己れ達三
百の意志は、此の汚れた大地を叩
きつけるのだ！【」】
　背後の男の巨手は、皮肉な男を
ずる／＼と引き寄せた。
「さうだ！　己れ達は此の大地を
叩きつけて終ふのだ！」
「大地を！」
「汚れた大地を！」
　彼等は同じやうに咆え立てた。
　咆え立てながら、彼等の足は室
内の空氣を蹴つて暴風のやうに去
つた。
　ヽヽ
　もの淒い空虚が室内を訪れた。
　　　　ヽヽ
　彼女はぐつたりとチヱアーに沈
み込むと、眼を瞑つて吐息した。
　〃それから幾時間が經過したこ
とであらうか----。〃
　セキにはまつたく解らなかつた【。】
　彼女は夢中で、滅茶々々で、ひ
た押しに迫つて來る空虚の涙に押
し潰されてゐたのだ。
　窓外には、劇しい人造の雨が降
　ヽヽ　　　　　　　ヽヽヽ
りしきつて、それが、からりと晴
れて、太陽の脚光が心持ち傾斜し
た時である。
「社長！」
　血潮を失つた灰のやうな航空部
長が、その不思議な室内の惡夢を
二つに破つた。
　End

　Data
　トツプ見出し：
　　教育勅語
　　渙發四十年記念日
　　けふ東大講堂で
　　盛大なる式典
　　首相、文相ら列席の上
　　全國で種々な催し
　廣告：
　　松竹丈レヴユウ　シヤラバン　世界遊覽十五景
　　食指の的　マルキン醤油

　底本：：
　　紙名：　　大阪朝日新聞　夕刊
　　発行：　　昭和五年十月三十一日（金曜日）　第三版
　入力：：
　　入力者：　新渡戸　広明(info@saigyo.net)
　　入力機：　Sharp Zaurus igeti MI-P1-A
　　編集機：　IBM ThikPad s30 2639-42J
　　入力日：　2003年09月09日
　校正：：
　　校正者：　大黒谷　千弥
　　校正日：　2003年09月18日
　
　$Id: gc73.txt,v 1.3 2005/09/16 02:35:24 nitobe Exp $